十字架を逆さまにするってどんな意味があるんです? ペテロの逆さ磔刑の事ですか?イエスと同じ刑にされると畏れ多いというので逆さまの磔刑にされました。 逆十字架に架けられる聖ペテロや刑の執行人など、場面の必要要素以外を殆ど排除した構成や、人物の運動性のみによって場面の意味を示すカラヴァッジョ独特の表現は、後の画家たちに多大な影響を与え … ・キリストの使徒 (十二使徒:the Twelve Apostles of Jesus Christ) キリスト教の伝承での使徒(しと)とは、十二使徒(じゅうにしと)のことで、福音を伝えるためにイエス・キリストによって最初に選ばれた12人の弟子(新約聖書)。 「聖書に出てくる人物や場所は実在したのか?」「聖書は考古学と矛盾しているか?」について、旧約聖書の鉄器時代の歴史的・考古学的背景をみていきます。聖書の強調点は何か、聖書はどう読むべきか、聖書と考古学の望ましい関係は何かを探ります。これまで何回かにわたってイエス・キリストが処刑された十字架刑(磔刑、たっけい)について書いてきました。Now there was about this time Jesus, a wise man, if it be lawful to call him a man; for he was a doer of wonderful works, a teacher of such men as receive the truth with pleasure. 今回は、イエス・キリストが十字架刑(磔刑)で死んだ歴史的な証拠があるかどうかを調べるため、イエスの死後150年以内に書かれた聖書以外の文献に焦点をあてました。日本では弥生時代にあたる約2000年前の出来事の信憑性に迫ります。 And the tribe of Christians, so named from him, are not extinct at this day.十字架刑(磔刑、たっけい)は実は非常に屈辱的で残酷な処罰でした。今回はこの十字架刑の屈辱・残酷性に着目しながら「なぜイエス・キリストはそんなにも屈辱的で残酷な処罰を無実の罪で受ける必要があったのか」を考えます。イエスが十字架で死んだ理由・意味は一体何か。キリスト教は「イエス・キリストは神だ」と言うけれど、イエス自身が「私は神だ」と明言はしてなさそう…。「となると、『イエスは神』というのは後世の作り話!?」と思う方のためにイエスと弟子たちの主張を検証。イエスが神であることの意味・意義も考えます。生きる希望や助かる望みさえ見出せない状況にあったとしても、神様は確かにあなたと共におられ、あなたと一緒にその苦しみを経験され、あなたの人生における神様の御計画を成し遂げようとされておられます。神様はおっしゃっています。「元気を出しなさい。私はいつもあなたと共にいる」と。Do not err, my brethren.
ペテロは、十字架のところに着くと、こう言った。「キリストは、天から地にご降臨になったので、頭を上にした十字架におあがりになった。しかし、わたしは、地上から天へ行くにあたいするとされたわけだから、わたしの頭は地にむき、足は天にむくようにしてもらいたい。つまり、わたしは、主とおなじ恰好で十字架にかけられる値うちがないのだから、どうか十字架をさかさまに立て、頭が下になるようにしてほしいのです」それで、十字架をさかさにし、足を上に、手を下にむけて釘けられた。ペテロが三度否認した現場に建てられた教会。エルサレムの南東部シオンの丘にある。教会内の地下には、イエスが最後の晩を過ごした牢獄が現存する。ここから総督ピラトの官邸に連れて行かれ、裁きを受けたといわれている。またある日、シモン(ペテロ)とアンデレの兄弟が漁をしているとき、イエスは湖岸を歩いておられた。イエスは彼らに向かって「私についてきなさい。あなたがたを人間をとる漁師にしてあげよう」と言われた。彼らはすべてを捨てて、イエスの後について行った。その後は、弟子となり、行動を共にするようになった。霊人体のすべての感性も肉身生活の中で、肉身との相対的な関係によって育成されるので、人間は地上で完成され、神の愛を完全に体恤して初めて、肉身を脱いだのちのその霊人体も神の愛を完全に体恤することができるようになるのである。このように、霊人体のすべての素性は肉身のある間に形成されるので、堕落人間においては、霊人体の悪化は肉身生活の犯罪行為に由来するもので、同じく、その霊人体の善化も、肉身生活の贖罪によってのみなされる。罪悪人間を救うために、イエスが肉身をもって地上に降臨された理由はここにあるのである。それゆえに、我々は地上で善なる生活をしなければならない。したがって、救いの摂理の第一次的な目的が地上で実現されなければならないので、イエスは天国の門の鍵を地上のペトロに授けて(マタイ一六・19)、地上でつなぐことは天でもみなつながれ、地上で解くことは、天でもみな解かれるであろうと言われたのである(マタイ一八・18)。するとペテロが、「たとえ、みんながあなたにつまずいても、わたしは決してつまずきません」と言った。イエスは言われた。「はっきり言っておく。あなたは今夜、鶏が鳴く前に、三度わたしのことを知らないと言うだろう。」ペテロは、「たとえ、御一緒に死なねばならなくなっても、あなたのことを知らないなどとは決して申しません」と言った。弟子たちも皆、同じように言った。ペテロは外にいて中庭に座っていた。そこへ一人の女中が近寄って来て、「あなたもガリラヤのイエスと一緒にいた」と言った。ペテロは皆の前でそれを打ち消して、「何のことを言っているのか、わたしには分からない」と言った。ペテロが門の方に行くと、ほかの女中が彼に目を留め、居合わせた人々に、「この人はナザレのイエスと一緒にいました」と言った。そこで、ペテロは再び、「そんな人は知らない」と誓って打ち消した。しばらくして、そこにいた人々が近寄って来てペテロに言った。「確かに、お前もあの連中の仲間だ。言葉遣いでそれが分かる。」そのとき、ペテロは呪いの言葉さえ口にしながら、「そんな人は知らない」と誓い始めた。イエスが処刑された後、ペテロは初代教会の指導者となり、ローマ・カトリックでは初代教皇(在位:~64頃)となった。パレスチナ・小アジア・ローマで伝道し、ローマ皇帝ネロの迫害により殉教したといわれている。中庭でペテロは、3人の人物からイエスの弟子ではないかと問われるが、三度とも弟子であることを否認。三度目の否認をしたとき、鶏が鳴いた。ペテロは、イエスの言葉を思い出すと、中庭から外に走り出て、激しく泣いた。※イエスが湖上を歩く奇跡は、マタイ福音書だけに記録されている。ペテロがローマを出発して、しばらくすると、ローマに向かってイエスが歩んできた。ペテロはどちらに行かれるのか尋ねたところ、イエスは「もう一度十字架に上がるのです」と答えた。その言葉を聞いたペテロは悔い改め「それでは、わたしも、帰ってあなたとごいっしょに十字架にかけられます」と言った。するとイエスは、彼の見ている前で天に昇って行った。ペテロは初代教会の指導者となり、五旬祭(ペンテコステ)で聖霊が降ったとき、キリスト教最初の説教をエルサレムで行なった。その後も説教を続けたため、ヘロデ王(ヘロデ・アグリッパ一世)にたびたび逮捕された。あるときは、天使に牢獄から救い出されたこともあり、このときは、ペテロ本人も、ペテロのために祈っていた教会の信徒たちもたいへん驚いた。※イエスに先に出会ったのはアンデレであったが、12弟子の中では、兄のペテロが「一番弟子」の立場となった。牢獄から解放されたペテロは、信徒たちに、一刻も早くローマから逃れるよう懇願された。ペテロ本人は不本意であったが、信徒たちに強く懇願され、ローマから離れることを決意した。このマタイによる福音書の記録は、ペテロがイエスに叱られるというオチがあり、ユーモアを感じさせるようなストーリーになっている。ペテロは、荒波で溺れそうになり「助けてください!」と叫んでいる。ペテロの大胆さと臆病さを読み取ることができ、人間らしさを感じる一場面となっている。なお、この物語はさまざまな解釈がなされ、「信仰心」や「救い」、「イエスの復活」などをテーマとする説教の中で、引用されることが多い。イエスが生きていた当時は、キリスト教はまだ独自の宗教といえるものではなかった。イエスの死後、ペテロたちが教えを広め、キリスト教(原始キリスト教)が成立した。イエスが処刑され、3日目に復活した後、ペテロはイエスがメシヤであったことを心から信じるようになった。エルサレムで信仰と伝道に全身全霊を捧げ、信者たちの指導者となって、エルサレムの教会をまとめた後、ローマで布教活動を行った。The Miraculous Draught of Fishes, Peter Paul Rubens, 1618 - 1619イエスの復活・昇天後、集まって祈っていた120人の信徒たちの上に、神からの聖霊が降ったという出来事を記念するキリスト教の祝祭日。クリスマス、イースターと並ぶキリスト教の三大祭の一つ。信徒たちは、この日から聖霊に満たされて爆発的な宣教を開始した。教派により訳語は異なり、五旬節の日(「過越祭」から 50日目に行われるユダヤ教の祝日)の聖霊降臨であったため「五旬祭」などともよばれる。ペテロはイエスの12人の弟子の中から、イエスによって特別に選ばれ、「天の国の鍵」を授かり、初代教皇となった。ローマ教皇(ローマ法王)は、その後継者だ。「天の国の鍵」には「イエスの教えを継ぐ者」という意味があり、ローマ教皇の紋章には、常に「天の国の鍵」が描かれている。※二人の騎士=プロケッススとマルティニアヌス。のちに、高官パウリヌスは二人を呼びつけて、キリスト信者であることを聞くと首をはねた。二人は殉教者として、旧アウレリア街道の埋葬され、その場所に教会が建てられている。ペテロと兄弟アンデレは洗礼ヨハネ(バプテスマのヨハネ)の弟子であった。ある日、洗礼ヨハネが、歩いておられるイエスを見つめて、「見よ、神の小羊だ」と言って、イエスを神の子(メシヤ)であることを認めると、アンデレはイエスに従うようになった。その日は、イエスとともに過ごした。翌日、アンデレがペテロにそのことを話し、ペテロをイエスのもとに連れて行った。すると、イエスから「ペテロ」という名をもらい、弟子となった。その後、彼らは漁師生活に戻ったが、ガリラヤ湖畔でイエスに会い、大漁の奇跡を目の当たりにした。するとすぐ、鶏が鳴いた。ペテロは、「鶏が鳴く前に、あなたは三度わたしを知らないと言うだろう」と言われたイエスの言葉を思い出した。そして外に出て、激しく泣いた。カトリック教会は、「この岩」を人物としての「ペテロ」と解釈している。つまり、「イエスがペテロを初代教皇に任命した」と考え、ペテロを初代のローマの司教(教皇/法王)とみなしている。そして、代々の教皇がイエスからペテロに授けられた天の国の鍵を継承している。※日本のマスコミ等では「ローマ法王」という呼称が使われているが、日本のカトリック中央協議会は「ローマ教皇」の呼称を推奨している。2013年3月に南米から初のローマ教皇にフランシスコ1世が選ばれた。教皇のパレードが行われたときには、大勢の人が声援を送り、涙ぐむ人も見られた。教皇を見るということは、聖ペテロを見るのと同じことだから感銘を受けるとのこと。ペテロはキリスト教の礎を築いた人物であるとされ、キリスト教徒の心の礎にもなっているようだ。サン・ピエトロ大聖堂は使徒ペテロの墓所を祀る聖堂。キリスト教を公認(313年/ミラノ勅令)したローマ皇帝コンスタンティヌス1世により4世紀に建設された。キリスト教教会建築として、世界最大級の大きさを誇っている。現在の聖堂は2代目にあたり、1626年に完成したもの。※2018年3月現在のローマ教皇は、第267代のフランチェスコ1世(Francesco I)。ペテロがイエスに弟子入りしてから時が経ち、ペテロをはじめ、弟子たちの信仰も厚くなり始めていた。イエスは弟子たちを試そうと、「私を誰と言うか」と質問した。ペテロは「あなたこそ、生ける神の子キリストです」と告白した。イエスは「この岩の上にわたしの教会を建てよう」、「あなたに天の国の鍵を授ける」と言って、ペテロを賞賛した。これがキリスト教の教会の原点で、ここからキリスト教の教会が出発したといわれている。また、カトリック教会は、これをもってペテロがイエスから初代教皇に任命されたものと理解している。ペテロとアンデレを見掛けたイエスは、彼らの舟に乗り込み、彼らに網を下ろすように命じた。ペテロはしぶしぶ従うと、奇跡的な大漁となった。最後の晩餐で、ペテロは、自分は決してイエスを見捨てないので、あてにしてほしいとイエスに伝えた。しかし、イエスに「あなたは今夜、鶏が鳴く前に三度わたしのことを知らないというだろう」と言われた。マタイによる福音書16章13節~19節には、キリスト教会の原点が記録されている。ただし、イエスの言われた「この岩」の解釈が、カトリック教会とプロテスタント教会で分かれている。ある日、シモン(ペテロ)とアンデレの兄弟は、ガリラヤ湖へ漁に出掛けた。しかし、その日は、一晩中働いても収穫はなかった。イエスもガリラヤ湖に来ており、うわさを聞いた多くの人が、神の言葉を聞こうと、イエスのまわりにひしめき集まっていた。イエスの弟子たちが、荒波の中で舟を進めていると、湖上をイエスが歩いていた。それを見たペテロは、自分にも命令して、湖上を歩き、イエスの元へ行かせてほしいと頼んだ。そして、イエスが来るように命じたので、水の上を歩きはじめた。ペテロは数歩だけ水の上を歩けたが強風にあおられて、恐怖心を持った瞬間に溺れかかった。その後、イエスに助けられ、信仰が薄いと叱られた。イエスが逮捕され、大祭司カイアファの邸宅の牢に連れ込まれ、拷問を受けているとき、ペテロはなんとかイエスを助けようと中庭にまぎれ込んだ。現在、ペテロの墓の上には、サン・ピエトロ大聖堂(聖ペテロ大聖堂)が建てられている。一方、プロテスタント教会は「この岩」をペテロの「信仰告白(=ペテロがイエスをメシアとして信じているという告白)」と解釈している。つまり、「イエスをメシアと信じる信仰の土台の上に教会が成り立っている」と解釈になる。