引用 : 浦島太郎. 浦島太郎の原作 古くから伝わる日本の民話です。『浦島太郎』の形になったのは、室町時代の『御伽草子』と言われます。 ですが、それ以前にも、もとになったお話は多く、『日本書紀』『万葉集』にも似たお話は入っている。 そのことを、しないで通り過ぎたように思っていても、結局はやらなければいけない時期がまたやって来て、あの時やっておけば良かった。と思ったりすることもあったりします。そうすると、中から白いけむりがぱあっっとでてきて、、浦島は髪もひげも真っ白いおじいさんになってしまうのです。もう、もしかしたら、誰かが作り出して、誰かが飲んでるかもしれないですが・・・ですが、それ以前にも、もとになったお話は多く、『日本書紀』『万葉集』にも似たお話は入っている。私は友達と「不老不死の薬を作ったら、ものすごく売れるだろうね。」という話をしたことがあります。なかなか時間が取れなかったり、費用的に難しかったりして、回数や時間が少ない、楽しい事の方が、幸せを強くかんじられるのではないでしょうか?きっと、人は好きな事ばかりしていても、そのうちに好きなことをしている幸せも薄らいできて、あまり、楽しいと思えなくなってくるのではないでしょうか?でも結局、私たちの中では、誰一人、不老不死になりたいと言った人はいませんでした。浦島は悲しくて泣いていたが、玉手箱を思い出し、「絶対開けるなと言われたが開けてみよう。」とふたを取ってしまいました。するとおじいさんは、「子供の頃聞いた話で、その人は釣りに出て帰って来なくて、家はもう絶えてしまった。」と言うのです。そうして、玉手箱をあけてしまい、真っ白い老人になるというツケを払わされるのです。ある日、乙姫は「珍しい物をお見せします。」と言って、浦島を春、夏、秋、冬の季節それぞれの座敷に案内して、それぞれの季節の花や景色や行事を見せます。そして、浦島太郎は、ずっと竜宮城にいれば、幸せになれたのでしょうか?ある時、浦島が海の近くにいると、子供が、かめの子を捕まえて、いじめています。乙姫は「私はあの助けてもらったかめです。」と言って、ご馳走やら、踊りやらでもてなしました。そして、もう1つ、浦島太郎が帰らずにずっと竜宮城にいたら、幸せだったか?という疑問が浮かぶのです。ずーっと生きられると思ったらきっと、楽しい事も楽しくないし、おいしい物もおいしくないのではないでしょうか?© Copyright 2020 童話のあらすじと教訓解説. 【現代語に訳すと、】 浦島太郎という、24~25歳の男がいました。太郎は漁師として生計を立て両親を養っていました。 その日は“ゑじまが磯”という所に釣りに出かけましたが、かかったのはカメでした。 御伽草子より浦島太郎の伝説を現代語訳でご紹介。 亀を助けた浦島さんが、助けたおれいに竜宮城へ 言霊-日本の物語を語り継ぐ(日本神話や昔話、民話)- 御伽草紙 著者 藤井乙男 校 出版者 有朋堂書店 出版年月日 大正15 シリーズ名 有朋堂文庫 請求記号 543-29 書誌id(国立国会図書館オンラインへのリンク) 000000597582 doi 10.11501/1018115 公開範囲 インターネット公開(保護期間満了) iiif マニフェストuri
誰もが知っているむかし話「浦島太郎」の物語。そのルーツとなる伝説が『日本書紀』や『丹後国風土記』という書物に収められています。そこに綴られる浦島伝説と、むかし話の浦島太郎の共通点・相違点とは?比較してご紹介します。 今回から『浦島太郎』を読んで行くよ! 今回から取り上げる『浦島太郎』は、『御伽草子[御伽文庫]』シリーズとして刊行された、いわゆる「渋川版」バージョンものです。たぶん、これが江戸時代では一番メジャーな『浦島太郎』だと思われます。
All rights reserved.目を開けると、見たこともないような美しい乙姫がたっていたのです。ですが、乙姫は「竜宮の1年はあなたの世界の100年にもなります。もう、親御さんは亡くなってるでしょう。」と言うのです。ご訪問ありがとうございます。秋雨と申します。子育ての事、身の回りで気がついた事等を書いております。娘と息子がおり、成人しておりますが、まだまだ心配が尽きません。職業は接客業です。幸せを感じる度合いを、数字で表すことは出来ないですが、若いときに10に感じた幸せが今は15くらいにはなっているので、歳をとるのも悪くないなと思っています。浦島はかわいそうに思い、助けてあげて、海にはなしてやるのです。そして、家族を心配してもどりますが、もう家もなくなってしまっているのです。このお話しの中では、浦島太郎は乙姫と楽しく暮らしていましたが、時が通り過ぎていることに気づきます。そして、乙姫も、浦島太郎も、竜宮城にいると、不老不死なのです。けれども、浦島はどうしても帰るというので、乙姫は美しい箱をひとつ持って来て、「これは玉手箱という箱です。絶対に開けてはいけません。」といいます。乙姫が冬の座敷を見せた時、一面に雪景色で、、浦島は、おどろいて、「もう正月が来たのか?親も心配してるだろうし、もう帰る。」と言います。それから少しして、浦島が海に行くと、大きなかめがやって来て、「恩返しに竜宮城に招待いたします。」と言います。きっと、限られた時間だから、生きることを楽しんで人生を充実させることが出来るのでしょう。でも、これがずーっと続くと、あまり幸せだと思えなくなるのです。そして、「自分はもし不老不死になれたらなりたいか?」という話をします。浦島は、通りかかったおじいさんに「浦島太郎という者の家はありませんか?」と聞きました。例えば、どうしても明日までに仕事や勉強をしなければいけないのに、ついつい、漫画を読んだり、TVを観たりしてしまって、後で大変な目にあった事等は、どなたにもあるのではないでしょうか?そこで、浦島は、かめの背中に乗って、目をつむると、あっという間に竜宮城に着きました。
昔、丹後の国に浦島という者がおりまして、その子に浦島太郎と申す、二十四、五歳の男がおりました。「ああ、どうか私を祖国へ送り届けてくださいな。ここで見捨てられても私はどこへ行ってどうなるものでしょう。ここでお見捨てになるなら、海上でひとり物思いに沈んでいたのと変わりません」その女性の指図に従って、はるばる十日ちょっとの船路を経て女の故郷に到着しました。昔丹後国に、浦島といふもの侍りしに、その子に浦島太郎と申して、年の齢二十四五の男有りけり。明け暮れ海のうろくづをとりて、父母を養ひけるが、ある日のつれづれに、釣をせんとて出でにけり。浦々島々、入江々々、至らぬ所もなく、釣をし、貝を拾ひ、みるめを刈りなどしける所に、ゑしまが磯といふ所にて、亀を一つ釣り上げける。浦島太郎此亀にいふやう、「汝、生有るものの中にも、鶴は千年、亀は万年とて、命久しきものなり。忽ちここにて命をたたん事、いたはしければ、助くるなり。常には此恩を思ひ出すべし」とて此亀をもとの海にかへしける。「そう、ある所へ行くため、船に乗っておりましたところ、折り悪く波風が荒れ狂って、大勢の人が海へ投げ出されてしまいましたのを、人情深い人がいて、私をこの小舟に乗せて流してくれたのです。私は悲しく思って、鬼の島へ行くことにでもなるのだろうかと、行き先も分からず船の進むままに漂っていたところ、今こうしてあなたにお会い申し上げているのです。これも前世からの深い因縁あってのことでしょう。だから虎や狼のような畜生でさえも、出会った人を縁と思うのです」浦島太郎も、さすがに岩や木と違って心があるので、気の毒なことだと思い、綱を取って船を引き寄せました。「お前は命あるものの中でも、鶴は千年、亀は万年といって、長寿の者である。突然ここで命を奪うのはかわいそうだから助けてやるのだ。常にこの恩を思い出すがよい」と何度も言っては泣いたので、浦島太郎も気の毒に思い、同じ船に乗って沖の方へと漕ぎ出しました。また翌日、海岸の方へ出かけて釣りをしようと思って見ると、遙か遠くの海上に、小さい船が一艘浮かんでいました。といってこの亀をもとの海に帰してやりました。こうして浦島太郎は、その日は暮れてしまったので帰りました。かくて浦島太郎、その日は暮れて帰りぬ。又次の日浦の方へ出でて、釣をせんと思ひ見れば、はるかの海上に、小船一艘浮べり。怪しみやすらひ見れば、美しき女房只ひとり波にゆられて、次第に太郎が立ちたる所へ着きにけり。浦島太郎が申しけるは、「御身いかなる人にてましませば、かかる恐ろしき海上に、ただ一人乗りて御入り候やらん」と申しければ、女房いひけるは、「さればさる方へ便船申して候へば、折ふし浪風荒くして、人あまた海の中へはね入れられしを、心ある人有りて、自らをば此はし舟に乗せて放されけり。悲しく思ひ鬼の島へや行かんと、行方知らぬ折ふし、ただ今人に逢ひ参らせさぶらふ。此世ならぬ御縁にてこそ候へ。されば虎狼も、人を縁とこそしさぶらへ」とて、さめざめと泣きにけり。浦島太郎も、さすが岩木にあらざれば、あはれと思ひ、綱を取りて引き寄せにけり。さて女房申しけるは、「あはれわれらを本国へ送らせ給ひてたび候へかし。これにて捨てられ参らせば、わらはは何処へ何となりさぶらふべき。捨て給ひ候はば、海上にての物思ひも、同じ事にてこそ候はめ」と、かきくどきさめざめと泣きければ、浦島太郎もあはれと思ひ、同じ船に乗り、沖の方へ漕ぎ出す。かの女房の教へ従ひて、はるか十日余りの船路を送り、故郷へぞ着きにける。海岸や島や入り江など、ありとあらゆる所で釣りをし、貝を拾い、海松布を刈っていたところ、絵島が磯という所で亀を一匹釣り上げました。「あなたはどのような方でいらっしゃって、このような恐ろしい海上にたった一人船に乗っていらっしゃるのでしょうか」不思議に思ってじっと見ていると、美しい女性がたった一人、波に揺られながら、次第に太郎が立っている所へ近づいてきて漂着しました。女性が漂着して~、というのも現在広く知られているお話にはないものですね。朝から晩まで海で魚を捕って父母を養っていたのですが、いつものように釣りをしようと出かけたある日のことでした。 この女の邸宅はそれ程に見事で、筆舌に尽くしがたいものだったのです。丹後国で釣りをしながら両親を養っている青年、浦島太郎。ある日、一匹の亀を釣り上げたけれど、気の毒に思って海に帰してやりました。次の日、また釣りに出かけると、今度は一人の女性が小舟に乗って近づいてきました。事情を聞いてみると、大荒れの海で乗っていた舟が難破して、どうにか小舟に乗り換えて漂流してここまで来たとのこと。浦島はこの女性を故郷まで送り届けてやりました。あと、「梅や桜が~」のあたりからは綺麗な七五調で書かれているので、ぜひ原文を味わってみて欲しいです。そして名高き竜宮城ですが、海底にあるという設定は取られていませんでしたね。けっこう強引に結婚まで持っていった豪腕ぶりは、菜々緒の乙姫に近いでしょうか。笑まず東の戸を開けてみると、春の景色と思われて、梅や桜が咲き乱れ、柳の糸も春風に揺れ、霞がたなびく中から、鶯の鳴き声が軒近くに聞こえ、あらゆる梢に花が咲き誇っているのです。南の方を見てみると、夏の景色と見え、春との境の垣穂には、卯の花がまず咲いているようで、池の蓮は露をあび、汀には涼しげなさざ波が寄せて、多くの水鳥が遊んでいました。木々の梢も茂って、空に響きわたる蝉の声、夕立が通り過ぎてゆく雲間から、声をたてて飛ぶホトトギスが鳴くことで、夏であることを知らせていました。西は秋と見えて、一面の梢も紅葉し、籬の内に咲く白菊、霧が立ちこめる野の奥の方には、萩に置く露をかき分けながら寂しげに鳴く鹿の声に、秋を感じました。そして同じように北を眺めると、冬の景色と見えて、一面の梢が冬枯れして、枯葉に降りた初霜、真っ白く雪化粧された山々、雪に埋もれた谷の出入り口に、炭竈から昇る心細い煙はまさしく貧しい民の生活で、冬らしい景色であることです。「旅の途中、見知らぬ者どうしがたまたま一樹のもとに休息し、同じ川の水を汲んで喉を潤すことも、“袖すり合うも多生の縁”というものです。まして、この広い海をはるばるとお送りくださったことは前世からの宿命に違いないのですから、何の心配も要りません。わたくしと夫婦の契りをお交わしになって、ここで一緒に暮らしてくださいませんか」さて船より上がり、いかなる所やらんと思へば、銀の築地をつきて、金の甍をならべ、門をたて、いかならん天上の住居も、これにはいかで勝るべき。此女房のすみ所、ことばにも及ばれず、中々申すもおろかなり。さて女房の申しけるは、「一樹の蔭に宿り、一河の流れを汲むことも、皆これ他生の縁ぞかし。ましてや遥かの波路を、はるばると送らせ給ふ事、ひとへに他生の縁なれば、何かは苦しかるべき、わらはと夫婦の契りをもなし給ひて、同じ所に明し暮し候はんや」と、こまごまと語りける。浦島太郎申しけるは、「ともかくも仰せに従ふべし」とぞ申しける。さて偕老同穴の語らひも浅からず。天にあらば比翼の鳥、地にあらば連理の枝とならんと、互に鴛鴦の契り浅からずして、明し暮させ給ふ。本編とは関係有りませんが、auのCMで乙姫を演じてから、菜々緒の個人的好感度が急上昇しました。と申し上げました。そうして、一生涯の夫婦となる契りを固く結んだのです。「ここは竜宮城と申す所で、この邸の周囲に四季の草木をあしらっております。どうぞこちらへお入りください。お見せしましょう」さて、船から上がって、どんな所だろうか、と思うと、銀の塀に囲まれ、金の屋根瓦を並べ、立派な門を建て、天上界の邸宅がどんなに立派だったとしても、これに勝るということはあるはずもございません。・一生涯の夫婦となる契りを固く結んだのです…原文では「偕老同穴の語らひも浅からず」。偕老同穴は四字熟語で、夫婦が仲良く年を取り、同じ墓に入る、の意。さて女房申しけるは、「これは竜宮城と申す所なり、此所に四方に四季の草木をあらはせり。入らせ給へ、見せ申さん」とて、引具して出でにけり。まづ東の戸をあけて見れば、春の景色と覚えて、梅や桜の咲き乱れ、柳の糸も春風に、なびく霞のうちよりも、鶯の音も軒近く、いづれの木末も花なれや。南面を見てあれば、夏の景色とうち見えて、春をへだつる垣穂には、卯の花や、まづ咲きぬらん、池の蓮は露かけて、汀涼しきさざなみに、水鳥あまた遊びけり。木々の梢も茂りつつ、空に鳴きぬる蝉の声、夕立過ぐる雲間より、声たて通るほととぎす、鳴きて夏とや知らせけり。西は秋とうち見えて、四方の梢も紅葉して、籬の内なる白菊や、霧たちこむる野辺の末、真萩が露を分け分けて、声ものすごき鹿の音に、秋とのみこそ知られけれ。さて又北をながむれば、冬の景色とうち見えて、四方の木末も冬がれて、枯葉に置ける初霜や、山々やただ白妙の、雪に埋るる谷の戸に、心細くも炭竈の煙にしるき賤がわざ、冬と知らする景色哉。天であれば比翼の鳥、地上であれば連理の枝のように仲の良い夫婦になろうと、互いにおしどり夫婦となる誓いを立て、日々をお暮らしになるのでした。