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あなたが御霊に満たされるなら、神の声を知るようになります。このことについて一つの例をお話したいと思います。私が最近オーストラリアに訪問しようとする途中で、船がアデンとボンベイに停泊しました。最初の停泊地アデンに着くと、人々が商品や美しいカーペットやさまざまな東洋風の物を売りに船の周りに集まって来ました。ある人はダチョウの羽を売っていました。船の端で商売をしている人を眺めていると、ある紳士が私に話しかけました。「ご一緒にあのダチョウの羽を買いに行きませんか。」羽で私は何をしたいというのでしょうか。そんなものを買っても役に立ちませんし、買う余裕もありません。でも、その紳士はもう一度私に聞きました。「あの羽の束を買いに私と一緒に行きませんか。」神の御霊が私に言われました。「そうしなさい。」神の御霊に満たされている時に、あなたを通して神は人間の考えに及ばないことをされます。毎日、毎時間、神の神聖な導きを受けることができます。聖霊に満たされることはあらゆる点で意義が大きいのです。何年も病気で苦しんできたのに、聖霊に満たされることで病気が消え去ったのを、私は何人も見たことがあります。神の御霊が彼らにイエスさまのいのちを現実に現されたので、彼らはあらゆる病気や苦しみから完全に解放されました。私が開催したある集会で、主が働かれて多くの人がいやされていました。ある男性がそこで起きていることを見て、こう言いました。「私もやってみようと思います。」彼は祈ってもらいに来て、からだに二カ所悪いところがあると私に言いました。私は主の御名によって彼の上に手を起き、彼に「今、あなたは神を信じています」と言いました。次の夜の集会で、彼は獅子のように吠えていました。彼は言いました。「皆さん、ここにいるこの人は皆さんを騙しています。この人は昨晩、私のからだの二カ所の怪我に手を起きましたが、少しも良くなっていません。」私は彼を止めて言いました。「あなたはいやされたんですよ。問題は、あなたがそれを信じようとしないことです。」主は平和を与えるために来られました。そして、あなたが内側に平和を得るとすぐに、外側には迫害がやってきます。あなたが静かにして何もしなければ、悪魔もその使いもあなたを妨害しないでしょう。けれども、神と共に前進し続けてその全行程を行こうとするなら、敵はあなたをターゲットにします。けれども、神はそのすべてのことの中にあって、あなたが正しく歩んでいることを証明して下さいます。十時頃になって紳士が私の客室に来て言いました。「お代を持って参りました。」私は言いました。「私が求めるのはあなたのお金ではありません。私が神のために求めているのはあなたのたましいです。」その場所で彼は自分のいのちに関する全計画について目が開かれ、神を求め始めました。その朝に、彼は神の救いに入って、むせび泣きました。詩篇の著者は、神に罪を犯さないために、神のことばを私の心に蓄えたと言いました(詩篇一一九・一一)。神のことばを心に多く蓄えれば蓄えるほど、聖い生活をすることが容易になります。また、詩篇の著者は「みことばは私を生かします」(詩篇一一九・五〇)とも証しました。神のみことばを自分のなかに取り込めば、からだ全体が生かされて、丈夫になっていきます。あなたがみことばを柔和な心で受け入れるなら、信仰があなたの中から溢れ出るのを実感するでしょう。みことばを通していのちが湧きます。聖霊に満たされていたステパノは、天を見つめ、神の栄光と、神の右に立っておられるイエスさまとを見ました。ああ、聖霊に満たされるとはこういうことです! どんなに意義があることでしょうか。ある夏の日に私が六十マイルの道を旅していました。そして天を見上げると、イエスさまの幻が道中ずっと見えました。それを見せて下さったのは聖霊です。では、あなたが聖霊に満たされた瞬間から、迫害が始まることについては、どうなっているでしょうか。主イエスご自身がそうでした。主の上に御霊が鳩のように下る前には、主が迫害に合うことはありませんでした。御霊が下るとすぐに、主がご自分の故郷で宣教をされた後に、人々は丘の崖から主を投げ落とそうとしたことが分かります。十二弟子についても同じでした。ペンテコステの日が来る前には迫害は起こりませんでした。しかし、弟子たちが聖霊に満たされると、すぐに監獄行きが待っていました。悪魔たちと宗教熱心な祭司たちは、人が御霊に満たされて、御霊の力によって何かを行うのをいつでも見張っています。そして、迫害は教会にとって最も大きな祝福です。御霊に満たされることを願うなら、一つのことを期待することができます。それは迫害です。主は分裂をもたらすために来られました。自分の家の中でも二人が三人に対抗して分かれるようになります。会衆は食卓の奉仕のために七人を選出しました。彼らが任命された務めに対して忠実だったことは疑いありません。しかし、神がすぐに七人のうち二人を選んで、より大きな働きをさせたことが分かります。ピリポは非常に聖霊に満たされていたので、神が彼をどこに連れて行かれても、そこでリバイバルが起きました。人は彼を食卓の奉仕に選びましたが、神は彼をたましいを勝ち取る奉仕に選ばれました。ああ、取るに足りない仕事を忠実に仕上げる人を、神は御霊で満たしてご自分のための選びの器とされ、たましいを救い病人をいやす力強い働きへとその人を促されるということを、ぜひ知っていただいて、あなたの信仰を励ましたいのです。聖霊に満たされた人に不可能はありません。それは人間の理解を超越しています。聖霊の力に満たされる時、神はあなたが行く所どこにおいても素晴らしい働きをされます。私はあなたに次のことの重要性を印象付けたいと思います。すなわち、私があなたの前に差し出しているのはからだのいやしではなく、生けるキリストだということです。神の御子が捕らわれ人に自由を与えるために来られたというのは栄光ある事実です。ステパノを見て下さい。彼は食卓の奉仕に選ばれたごく平凡な信徒でした。しかし聖霊が彼のなかにおられたので、彼は信仰と力に満ちていました。そして、多くの人々の間で素晴らしい不思議なわざとしるしを行いました。彼は知恵と御霊によって語っていたので、誰もそれに反対できませんでした。一人ひとりが聖霊に満たされることは何と重要なことでしょうか。次の夜の集会にも彼は参加し、証しの時間に名乗りでました。「私は石工をしております。今日、従業員と一緒に働いていると、彼が大きな石を運ばなければならない場面がありました。私は彼を手伝って石を運びましたが、少しも痛みがありませんでした。私は自分に『どうしたんだろう』と言いました。服を脱げる場所に行って、怪我をしていた箇所を見ると、いやされていました。」私は人々に言いました。「昨晩、この男性は神のことばに逆らっていました。でも今は信じています。信じる者には次のようなしるしが伴う、病人に手を置けば病人はいやされる、ということばは真実です。そのすべてのことはキリストの御名にある力によることです。」神のことばを啓示し、それを霊とし、私たちへのいのちとするのは、御霊です。ステパノは神の力が着せられた、ごく平凡な人でした。彼は信仰と力に満ち、素晴らしい不思議なわざと奇跡とが彼を通して起こりました。ああ、聖霊にあるこのいのちよ! 深く内側から啓示が来るこのいのちよ。一つの状態から別の状態へと移すこのいのちよ。恵みにあって、すべての知識にあって、御霊の力にあって、キリストのいのちと心があなたのなかで新たにされ、成長していきます。主の大能の力を常に啓示するのが、このいのちです。私たちを立たせることのできる唯一のものが、このいのちなのです。ステパノが知恵と御霊とによって話していたので、人々は対抗することができませんでした。そこで彼らは憎しみに燃えて、ステパノを捕らえて議会に引っ張って行きました。そして神は彼の顔を天の光で輝かせました。どれだけ対価を支払ったとしても、御霊で満たされることにはそれだけの価値があります。使徒の働きの七章を読んで下さい。この聖なる人が話した力強い預言的なことばを読んで下さい。恐れずに彼は人々に言いました。「かたくなで、心と耳とに割礼を受けていない人たち。あなたがたは、父祖たちと同様に、いつも聖霊に逆らっているのです。」そして人々はこれを聞いてはらわたが煮え返る思いでした。心に受ける影響は二通りあります。ここでは人々は歯ぎしりをして、彼を街の外に追い出して、石で打ち殺しました。ペンテコステの日には、人々は心を刺されて叫びました。「私たちはどうしたらよいでしょうか。」彼らは正反対の反応をしたのです。悪魔が機会を捉えることができれば、人は殺人を犯します。イエスさまが機会を捉えれば、人は悔い改めます。ステパノは叫びました。「主よ。この罪を彼らに負わせないで下さい。」彼は御霊に満たされていたので、愛で満たされていました。そして彼は、イエスさまがカルバリで敵に対して示されたあわれみと同じあわれみを現しました。聖霊に満たされることはあらゆる点で意義があります。それは、常に満たされ、生かされ、新しいいのちが吹きこまれ続ける体験です。ああ、素敵なことです! 私たちには素晴らしい福音があり、素晴らしい救い主がおられます。聖霊で満たされさえすれば、内側に枯れることのない泉を持つようになります。そうです。あなたの信仰の中心が主イエスさまであるなら、あなたの心の奥底から、生ける水が川となって流れ出るようになります。私たちはダチョウの羽を三ポンドで買いました。紳士は言いました。「今手持ちのお金がありません。でも、この羽の代金を立て替えていただければ、事務の者に言いつけて後で代金をお渡しします。」私は羽の代金を支払って、紳士に彼の分を渡しました。彼はファーストクラスに部屋を取っていて、私はセカンドクラスでした。私は彼に言いました。「いいえ。事務の方に代金を預けないで下さい。お代は私の客室まで個人的にあなたにお持ちいただきたいのですが。」私は主に言いました。「この羽がどうかしたんですか。」主は私に、私が羽を買ったことには主の計画があることを示されました。弟子たちが増え始めるにつれて、ある状況が起こりました。それに対処するために、十二使徒は食卓のことに仕えるのではなく、祈りとみことばの奉仕に専念するという明確な決定を下しました。すべての神の働き人にとって、絶えず祈りに励み、真理のみことばに養われることはなんと重要なことでしょうか。私はよく、私が聖書を持ち歩かずにいるのを見つけられたら賞金をあげますよ、と持ちかけます。十二使徒は全員を呼び集めて、七人を選んで食卓の仕事に当たらせると伝えました。彼らは評判の良くて、聖霊に満ちている人であるべきだと言われました。選ばれたのはごく平凡な信徒でしたが、聖霊に満たされていました。この御霊の満たしによって、人は平凡を超え出る者となるのです。神の教会で用いられるためには教養や学問は必要ありません。神が要求されるのは、明け渡され、聖別された、聖い生活です。そして、神は燃える炎でそのような聖めを行うことがおできになります。聖霊と火のバプテスマを受けて下さい。このいのちにあって、主はあなたをあらゆる種類の場所へと導き、そこで御力を現されます。私はニューヨークで宣べ伝えていましたが、ある日ルシタニア号という客船に乗ってイギリスへと出発しました。船に乗るとすぐに私は自分の客室に行きました。二人の男性と同じ部屋になりました。一人が言いました。「すみません、お付き合いいただけませんか。」彼はボトルを取り出して、グラスにウィスキーを注いで飲み干しました。それから私にもウィスキーを注いで、グラスを差し出しました。「そういうものは飲みませんので」と私は言いました。彼は「飲まずにどうやって生きていけるんですか」と尋ねました。私は聞き返しました。「飲んでどうやって生きていけるんですか。」彼は認めてこう言いました。「私は何ヶ月もこいつの影響下にあるんです。医者などは私の『内臓が悲鳴を上げている』と言うし、私も自分が死に近づいていることが分かっているんですけどね。できればこんなものから解放されたいです。でも、飲み続けてしまうんです。ああ、解放されるといいのですが! 私の父はイギリスで亡くなりました。そして父は私に同じ運命を受け継がせてくれました。でも、お酒は私が墓に行くのを早める以外に、何の良いことがあるでしょうか。」みことばを通して神が自分に語られているはずのことに誠実に耳を傾け続けない限り、誰でも神にあって強められることはありません。神の息がかかったみことばに共にあずからなければ、神の力やご性質を知ることはできません。朝に夕に聖書を読んで下さい。あらゆる機会を用いて聖書を読んで下さい。毎回の食事後に、食卓を囲んで無益な雑談に興じる代わりに、聖書から一章読みましょう。それから祈りの時間を持ちましょう。どこにいても誰といても、私はそうさせてもらえる時間を取るよう努力しています。