ユヴァル・ノア・ハラリ最新刊、2019年11月20日、ついに発売! 『21 Lessons 21世紀の人類のための21の思考 』 ユヴァル・ノア・ハラリ 柴田裕之訳. ユヴァル・ノア・ハラリの新著『21 Lessons――21世紀の人類のための21の考察』には、彼のデビュー作である『サピエンス全史』に寄せられた感想に関する興味深いエピソードが記されている。 『サピエンス全史』はもともと、彼の住むイスラエルの一般市民向けにヘブライ語で書かれた本だった。 今日の重大な課題や選択は何か? 石の上にも3年、ヨーロッパには10年 December 21, 2018 【書評】ユヴァル・ノア・ハラリ著『21 Lessons for the 21st Century』 (後編) December 19, 2018 【書評】ユヴァル・ノア・ハラリ著『21 Lessons for the 21st Century』 (前編) October 26, … それとも、自らの文章を検閲するべきか? 私の視野をはるかに超える世界、すっかり人間の手に負えなくなっている世界、あらゆる神やイデオロギーに疑いの目を向ける世界で、確固とした倫理的基盤をどうして見つけられるだろう?「ABJマークは、この電子書店・電子書籍配信サービスが、著作権者からコンテンツ使用許諾を得た正規版配信サービスであることを示す登録商標(登録番号第6091713号)です。」こうした問いに答えようとするのは、あまりにも野心的に思えるかもしれないが、ホモ・サピエンスは待ってはいられない。哲学も宗教も科学も、揃って時間切れになりつつある。人は何千年にもわたって人生の意味を論じてきたが、この議論を果てしなく続けるわけにはいかない。迫りくる生態系の危機や、増大する大量破壊兵器の脅威、台頭する破壊的技術がそれを許さないだろう。そしてこれが最も重要かもしれないが、生命を設計し直し、作り変える力を、A Iとバイオテクノロジーが人間に与えつつある。程なく誰かが、この力をどう使うかを決めざるをえなくなる――生命の意味についての、何らかの暗黙の、あるいは明白な物語に基づいて。哲学者というのは恐ろしく辛抱強いものだが、それに比べると技術者はずっと気が短く、投資家はいちばん性急だ。もしあなたが、生命を設計する力をどう使うべきかわからなかったとしても、答えを思いつくまで、市場の需要と供給の原理は一〇〇〇年も待っていてはくれない。市場の見えざる手が見境のない答えをあなたに押しつけるだろう。生命の将来を四半期収益報告書のなすがままに任せる気がないのなら、いったい生命とは何かについて、あなたは明確な考えを持つ必要がある。あいにく現在の政治情勢下では、自由主義と民主主義についての批判的思考はどんなものであれ、独裁者やさまざまな非自由主義的運動に悪用されかねない。そうした独裁者や運動の参加者は、人類の将来についての開かれた議論に加わることは念頭になく、自由民主主義の信用を傷つけることにしか関心がないからだ。彼らは自由民主主義が抱える問題は嬉々として議論するものの、何であれ自らに向けられた批判は、まず許さない。これはとりわけ差し迫った疑問と言える。なぜなら、情報テクノロジー(IT)とバイオテクノロジーにおける双子の革命が、私たちの種がこれまで出合ったうちで最大の難題を突きつけてきたまさにそのときに、自由主義は信用を失いつつあるからだ。ITとバイオテクノロジーが融合することで、間もなく何十億もの人が雇用市場から排除され、自由と平等の両方が損なわれかねない。ビッグデータを利用するアルゴリズムがデジタル独裁政権を打ち立て、あらゆる権力がごく少数のエリートの手に集中する一方、大半の人は搾取ではなく、それよりもはるかに悪いもの、すなわち無用化に苦しむことになるかもしれない。現実は多くの糸によって織り成されており、本書は、私たちが瀕しているグローバルな苦境のさまざまな面を取り上げるものの、もちろんそれを余すところなく捉えるわけではない。『サピエンス全史』や『ホモ・デウス』とは違い、本書は歴史の物語としてではなく、一連の考察として意図されている。これらの考察は、単純な答えで終わりはしない。その目的は、さらなる思考を促し、現代の主要な議論のいくつかに読者が参加するのを助けることにある。したがって、私は著者として難しい選択を迫られた。本音を率直に語り、自分の言葉が文脈を無視して引用され、急速に発展している独裁国家を正当化するために使われる危険を冒すべきか? どうも、きょんです。 今回は、年内最後の図解ということで、あの『サピエンス全史』と『ホモ・デウス』の著者であるユヴァル・ノア・ハラリの最新作、『21Lessons』を図解しました。 21Lessons 21 Lessons 21世紀の人類のための21の思考www.amazon.co.jp 2,376円(2019年12月26日 23:51時点 詳しく … ひょっとしたら、グローバル化の過程を逆転させ、国民国家に再び権限を与えることが解決策になるのだろうか? 21 Lessons 私たちはどこにいるのか。そして、どう生きるべきか――。『サピエンス全史』『ホモ・デウス』で全世界に衝撃をあたえた新たなる知の巨人による、人類の「現在」を考えるための21の問い。 現時点で、何が起こっているのか? この9月に『ホモ・デウス』の邦訳が出版されて、これでようやく内外の情報ギャップが埋められたと思った矢先、ほぼ同じタイミングでユヴァル・ノア・ハラリは新著“21 Lessons for the 21st Century”(以下『21 Lessons』)を出版した。まったくいけずなハラリ先生だこと…というのは冗談だが、期せずして前作(の邦訳)と新作を並べて眺めることになり、それぞれ単著で手にした場合とは異なる印象を得ることができた。な … 21 Lessons ユヴァル・ノア・ハラリ著 情報の海に方向感覚与える 読書 2020/2/1付 情報元 日本経済新聞 朝刊 ã®ä¸ã§æ£æ°ãä¿ã¤ããã«ã¯ã人é¡ãã©ãããæ¥ã¦ã©ãã¸è¡ãã®ãã®ãæ¹åæè¦ãå¿ è¦ã ããã©ãªæ°ãä¸ãã¦ãããã®ã¯ãæ å ±ãè¶ ããæ å ±ã®å ¨ä½ãå ã¿è¾¼ããã®æ¹åæè¦ã ããææã®æ§é ã¨äººé¡ã®å¹¸ç¦ï¼ä¸ï¼Copyright © Kawade Shobo Shinsha., Ltd. All Rights Reserved.ãããã人é¡ãç´é¢ãã¦ãã21ã®éè¦èª²é¡ãã¯ããã¸ã¼ã¨ãµãã¨ã³ã¹ã®æªæ¥ï¼ä¸ï¼ã¦ã´ã¡ã«ã»ãã¢ã»ãã©ãªãç¾ä»£ãèªã¿è§£ãããã®æè¯ã®æ¸ãä¸æ©ä¸ãç®æããã¸ãã¹ãã¼ã½ã³ã®å¿ èªæ¸ãå½éæ°´æºã®æé¤ã¯ãã®æ¬ã«å縮ããã¦ãããã
ユヴァル・ノア・ハラリ;柴田裕之訳『21 Lessons (トゥエンティワン・レッスンズ):21世紀の人類のための21の思考 』 河出書房新社、2019年。ISBN 978-4-309-22788-7。(21 LESSONS FOR THE 21st CENTURYの翻訳) 動物福祉
私たちはどこにいるのか。そして、どう生きるべき …
『21 Lessons』特設サイト. 21世紀に人類がどんな進化をとげるのか、それを個人的に見届けることができないのはつくづく残念だ。たとえば、イラクやウクライナへの対処にしても、地図のどこにあるか指差すことができない人たちが非常に強い意見を持っている。自分が無知だと感じたい人はいないので、同じような考え方をする友人たちとだけ交流し、自分が信じる情報が正しいことだけを互いに確認しあい、信念を強化する。ハラリの21 Lessons for the 21st Centuryを読んでも、人類の未来に対する明確な答えは得られない。だが、「良い質問」はぎっしりと詰まっている。この現象の背後にあるのが、ハラリの書くgroupthink(集団思考)だ。石器時代には人々は自分で自分の着るものを作り、火をおこし、うさぎを狩らなければならなかった。だが、現代人は自分がふだん着ている服のジッパーの構造すら知らない。「個々の人間は恥ずかしくなるほど世界について無知であり、歴史が進むにつれ、ますます知っていることが少なくなっている」とハラリが書くとおりなのだが、私たちは自分たちがもっと知っているような「知識錯覚」に陥っている。それは、他人の頭の中にある知識をまるで自分のもののように扱うからだ。これが「集団思考」だ。大きな組織は大規模な忠誠心なしには成り立たない。ハラリは、「マイルドな形の愛国心は、人間が創造したものの中では最も慈悲があるもののひとつだ」と言う。自分の国が特別なものだと感じ、ほかのメンバーに対して特別な義務感を持ち、世話をし、その人たちのために自分を犠牲にする気持ちを抱く元になるのがこのマイルドな形の愛国心だからだ。「ナショナリズムがなければ、すべての者がリベラルの楽園で暮らせると想像するのは危険な過ちだ。複数の部族による混乱のなかで生きる可能性のほうが強い」とも忠告する。「スウェーデン、ドイツ、スイスといった平和で豊かでリベラルな国々には強いナショナリズムの感覚がある。国家の強い縛りに欠けた国のリストには、アフガニスタン、ソマリア、コンゴ、その他の破綻した国家のほとんどが並ぶ」というのも、左寄りのリベラルが唱える単純な理想論を打ち崩す意見だ。進化論の観点からは、ホモ・サピエンスにとって他者を信頼する「集団思考」は非常に有効だった。だが、世界がもっと複雑になった現代では「集団思考」と「知識錯覚」が問題を引き起こしている。イスラエル国民であるハラリは、「『イスラエル』という国とその800万人の住民に対して忠実であるよう私に納得させるために、シオニズム運動とイスラエル国家は、教育、プロパガンダ、愛国心を掻き立てる運動といった巨大な組織を構築する必要があり、同時に、国家安全保障、健康保険、福祉を提供する必要があるのだ」と説明する。以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。民主主義は「有権者はよく知って投票する」という考えに基づいているが、私たちもよく知っているように、有権者は政治家のアジェンダを冷静に分析したりはせず「感情」で投票する。そういったこともハラリは指摘する。しかも、多くの者には自分が感情で投票している自覚すらないのだ。そういった人たちが平等に重要な票を投じるのだから、考えると恐ろしいことである。人間は社会的な動物であり、集団への忠誠心は遺伝子に刻み込まれている。しかし、何千年ものホモ・サピエンスの歴史で、人間の先祖が一緒に住んでいた親密な関係のコミュニティは、大きくても何十人程度だったのだ。人間は部族(tribe)や歩兵部隊、家族経営事業のように小規模の親密な集団に対して容易に忠誠心を抱くが、何百万人もの赤の他人に対して忠誠心を抱くような性質は自然には持ち合わせていない。「国家」などといった大規模なスケールのものに対する忠誠心は、過去数千年の間に現れたものであり、進化的な時間のスケールでは「昨日の朝」程度に最近のことだとハラリは言う。新しいコンセプトであるだけでなく、その維持のためには「社会構築の計り知れない努力を要する」のだ。多くの人は問題を白黒はっきりさせたがるが、ハラリはこのようにそれ自体を問題視する。特にオススメしたいのが「パート4(Part IV)」の「Truth」の部分だ。ハラリは数千年前のナイル川流域を例に挙げ、単独の小さな部族だけでは対応できない大きな取り組みをするために人々が手間をかけて「国家」という大きな集団を構築したことを語る。だが、異なる部族や氏族をひとつの国にまとめるのは容易なことではない。それは古代でも現代でも同じだ。真実ではないフィクションの「偽ニュース」は、現代の大きな問題になっているが、フィクションのすべてが悪いというわけでもない。Sapiens(『サピエンス全史』)を読んだ人なら覚えているだろうが、フィクションの形でコンセプトを伝えることが、人類のユニークなところなのだ。人間にフィクションを作って信じる能力がなければ、「国家」という観念を信じさせ、維持させることもできない。問題をこうして他角度から見させてくれるのも、ハラリの魅力だ。現在、イギリスのブレグジットやアメリカでのトランプの台頭など、大国が次々と国粋主義的な孤立主義になりつつあり、日本にもそういった雰囲気が漂っている。この現象の背後にあるナショナリズムは、人間の本質的な性質だと信じられている。だが、ハラリは「常識とは異なり、ナショナリズムは人間心理の自然で永久な部分ではなく、ヒト生物学に根ざしたものでもない」と書いている。そう思ったので、クリスマスに17歳のアメリカ人の甥にこの本をプレゼントした。アメリカのトップ0.1%以上の収入がある親から勝ち組になるためだけの教育を受けてきた彼に、彼らが生きねばならぬ21世紀を異なる角度から考えてもらいたかったからだ。「ナショナリズム」には「国家主義」「国粋主義」「愛国主義」といった意味がある。ニュアンスによって異なるので、ここでは「ナショナリズム」を使っておく。副題は「地球規模の問題には地球規模の回答が必要である」であり、それだけでも「なるほど」と感じるだろう。ナショナリズムが問題になるのは、ハラリが言うように「無害な愛国心が、熱狂的な超国粋主義に変貌するとき」だ。すべての国の国民が「わが国はユニークだ」と思うし、それは当然のことだ。しかし、「わが国は最高だ。私はこの国にすべての忠誠を誓わねばならない。この国と国民以外には何の義務もない」と思い始めたときに、暴力的な抗争が起こりやすくなる。これは、イギリス、アメリカ、日本などで起こっている不気味な雰囲気を連想させる。すべての章に博識のハラリらしい面白い歴史的事実や考察が散りばめられているのだが、非常に興味深い章とそれほどでもない章が混在しており、これまでの3冊の中では最もまとまりに欠けている。
「21 Lessons : 21世紀の人類のための21の思考」(ユヴァル・ノア・ハラリ著)を読んだ。 あわせてよみたい 「21 Lessons : 21世紀の人類のための21の思考」(ユヴァル・ノア・ハラリ著)を読んだ。 audibleのオーディオブックでユヴァル・ノア・ハラリ著の「21 Lessons」を読了した。