シント=トロイデンvvの飯塚晃央cfo(左) 欧州スポーツビジネスサミットにはおよそ20名が参加したが、社会人と学生が占める割合は半々。その学生たちが知りたいのは「いかにしてスポーツビジネス業界に入ることができるか」である。 ベルギー1部リーグは29節終了時点が最終成績。鈴木優磨、松原后、伊藤達哉、シュミット・ダニエルの4選手が在籍した 1部リーグのシント=トロイデンvvは9勝6分14敗、勝点33の12位でとなった。クラブは同日、次のようにコミットメント(声明)を発表した。
シント=トロイデンにはなぜ日本人選手がたくさん集まるのでしょうか? それはdmmグループが経営権を取得したためです。サッカーでdmm?と思うでしょうが、あのdmmグループであってます。 dmmグループは2017年6月にシント=トロイデンの経営権を取得しました。 少しくすんだ黄色をカナリア色と呼びますが、クラブの愛称も「デ・カナリース(カナリア)」と呼ばれています。シント=トロイデンはベルギーのサッカー1部では下位にいることが多く、強豪チームではありません。DMMは年間2000億円以上の売上を誇る巨大な企業です。この資本金があればサッカーも勝てる!……わけではありません。2018-2019シーズンには冨安健洋をはじめとした日本人選手を5人も獲得し、日本人の割合は日に日に高まっています。その後は何回かの降格を経験していますが、定位置は1部リーグで戦うクラブです。一昔前はドイツ所属の海外組が多かったですが、そのバブルも弾けていきなりドイツへの移籍するのは難しくなっています。日本人選手がいっぱいいるのもいいですが、経営陣のDMMもこれまでにないチャレンジをしています。DMMグループは2017年6月にシント=トロイデンの経営権を取得しました。ユニフォームとエンブレムには青と黄色が使われています。遠くから見てもすぐにわかる鮮やかな配色です。ビッグクラブには石油王や元大統領がバックに付いていることもあり、資金面やコネクションは彼らに分があるからです。世界でビッグクラブと戦うためにシント=トロイデンとDMMが取った戦略は、育成面に力を入れることでした。プレーオフ2で優勝して、さらに優勝ラウンド4位のチームに勝てばヨーロッパリーグの予選2回戦に出場できます。カナリアと聞くとかごの中で飼われている弱々しいイメージがあるかもしれませんが、このクラブはそんなことはないですね。今シーズンもヨーロッパリーグなどの国際的な大会に出場する可能性が捨てきれません。ちなみに、決勝ラウンドへ行けなかったクラブはプレーオフ2に参加します。それはDMMグループが経営権を取得したためです。サッカーでDMM?と思うでしょうが、あのDMMグループであってます。順調に行けば来シーズンはいいところまで……もしかしたら優勝争いに加われるかもしれません。今のところは有望な選手を獲得してクラブを強くするところまでは成功しています。これから目の出る日本人選手をシント=トロイデンですばやくチェックしてみてはどうでしょうか。2018-2019シーズンの4月時点では7位につけており、例年と比べると大きく順位を上げています。2018-2019シーズンでは決勝ラウンドへの進出を逃しましたが、あと一歩で優勝争いに参加できるところまで力をつけています。シント=トロイデンの創設は1924年。FC UnionとFC Goldstarの合併により設立されました。シント=トロイデンは7位なのでプレーオフ2では1位からスタートです。シント=トロイデンはベルギーのリンブルフ州にあるサッカークラブです。このスタイルが成功すれば、第二第三のDMMがヨーロッパにあらわれるでしょう。シント=トロイデンにはなぜ日本人選手がたくさん集まるのでしょうか?特にベルギーのクラブ「シント=トロイデン」には日本人選手が集結しています。冨安健洋は既にヨーロッパの強豪チームから目をつけられているので、移籍が成功すればクラブの注目度も間違いなく上がります。「シント=トロイデン」って初めて聞いたんだけど……という人のために、このクラブがどんなクラブなのか調べたので御覧ください。有望な日本人選手を獲得して育成し、高い値段で売るという育成方針を建てました。買収と言えば、本田圭佑がオーストリアの3部リーグにあったSVホルンを実質的に買収したとして盛り上がりましたが、これもパートナーという形でした。1957-1958シーズンには悲願の1部リーグ(ジュピラー・プロ・リーグ)へと昇格しています。オランダと国境を接しており、オランダのリンブルフ州西側が分離してベルギーに併合された歴史を持っています。ブラジルやアルゼンチンと言った強国から高いお金で選手を連れてくるのではなく、比較的移籍金が安い国から選手を獲得して育てる。1930-1940年代は躓くこともありましたが、じわじわと順位を上げて1947-1948シーズンには2部リーグへ昇格。これまで日本企業が海外のサッカークラブを買収したケースはほとんどありません。日本人が海外リーグに挑戦するときはシント=トロイデンを経由して……というケースが増えるかも知れません。日本ことを一番知っているのは日本人。とくればDMMの出番です。日本ではベルギーリーグを放送するのはいまのところスカパーだけです。唯一のタイトルは1999年に一度だけ制したベルギーリーグカップのみです。選手を高い値段で売れれば目標のサイクルが一周するので、軌道に乗ったと考えていいでしょう。 ならばDMM.comは、いかにしてSTVVの前オーナーを口説いたのか――。それが福田氏が立石氏に投げかけたストレートな質問だった。そこでDMM.comは方針を変更。ドゥシャトレ氏に、買収の話は一旦辞めて純粋にサッカーの話をしようとテレビミーティングを持ちかけた。「今の監督はこういうサッカーをするタイプの監督だが、どう思うか?」と聞くドゥシャトレ氏に、DMM.com側は「チーム作りは継続性が大事。私たちが経営権を持っても、今の監督をすぐ変えるようなことはしない。選手も一気に変えるつもりはない」などと答えるなど、本音の会話が交わされたという。欧州スポーツビジネスサミットにて、STVVの立石敬之CEOの講演に続いて行われたのがパネルディスカッションだ。九州産業大学准教授の福田拓哉氏が司会を務めながら、立石氏と最高財務責任者(CFO)を務める飯塚晃央氏の話を巧みに引き出していく。自分はサッカーに育ててもらいましたし、なによりもヴィッセル神戸にいたときに、スタジアムで毎回試合を観ながら実感できる、感情の爆発や興奮は素晴らしいものがあった。『感動が生まれたり、人々の感情が動いたりする近くで働きたい』という思いはずっとありましたし、自分自身が持っている能力やキャリアの延長線上で、何ができるんだろうとも思っていました。そんな中で(STVVと関わる)きっかけがあり、サッカーの世界に戻ってきたんです」にも関わらず、ドゥシャトレ氏とDMM.com側の話し合いが空転したのは、「『DMM.comの利益が』とか『日本代表の強化が』とか、買収側の思いが交渉で強すぎたから」と立石氏は話す。「最初、僕が受けたフィーリングは、『DMMというわけのわからない日本の会社がSTVVを買ってくれた。サンタクロースが日本からやってきた』と見られているような感触でした」大学で教鞭を執る福田氏が「飯塚さんは、そもそもファイナンスの知識や経験をスポーツの世界で活かそうと思って、最初から勉強してきたんですか?」と飯塚氏に投げかけると、意外な答えが返ってくる。そんな飯塚氏にとって、転機となったのが楽天入社後のとある出来事だった。そもそもドゥシャトレ氏には日本人のビジネスパートナーがおり、日本人の仕事ぶりや誠実さを知っていた。また、スタンダール(ベルギー)の会長を務めていたときに3人の日本人選手を獲得したが、中でも川島永嗣(現ストラスブール/仏1部)のパーソナリティーにかなり感心したという経緯もあった。「自分みたいな人間がサッカー業界で働くということは、(サッカーを自分でもやってきただけに、逆に)敷居が高いというか、恐れ多いと思っていたぐらいです。『憧れの世界だ』と思って足を踏み入れてみたら、意外と『あれ!? 実際に働いている世界の実情は、こんなにも違うのか』と感じる部分もありましたし。ヴィッセル神戸での2年間は、自分の力不足を感じたときもありました。辣腕の経営者というのは得てしてケチなもの。一流ビジネスマンのドゥシャトレ氏もコストカッターとして知られ、STVVでも無駄なコストを削減し続けてきた。そんな状況の中で登場したのがDMM.comである。当然、クラブスタッフは渡りに船とばかり、「クラブハウスを作って欲しい」「バスを買って欲しい」と、次から次へと要求をするようになった。前オーナーが緊縮財政であったこともあり、「これはクラブに必要だ」という純粋な思いで、「これを買って欲しい」「あれを作って欲しい」と様々なリクエスをするわけである。この数字を整理したのが最高財務責任者(CFO)の飯塚晃央氏だった。その活躍ぶりを立石氏も評価する。「楽天に新卒で入り、経理部に配属されましたが、別に経理をやりたいわけでもなかったので、異動届けを会社に出しました。」奇遇にも、飯塚氏が異動届けを出したのは、楽天のヴィッセル神戸買収が決まった頃。楽天のグループ企業となった以上、ヴィッセル神戸は決算を連結する必要がある。「それならお前が行って来い」と白羽の矢が立ったのが飯塚氏だった。前オーナーの「クラブ愛」を受け継ぎながら、ロジカルな舵取りを進めた立石氏。スタジアムで目の当たりにする感情の爆発と興奮に心揺さぶられてサッカーの世界に戻り、立石氏の右腕として活躍する飯塚氏。この2人のエピソードは、サッカーへの情熱と実務能力が融合することで、さらに大きな相乗効果を生んでいく好例だとも言える。この化学反応こそ、スポーツが好きな者が、スポーツ業界で働くことの醍醐味ではないだろうか。ハードなネゴシエーションの末、DMM.comは2017年6月にSTVVの株式の20%を取得。意思疎通をはかりながら、11月には99.9%の株式取得まで進め、経営権を取得した。翌年1月に立石氏がCEOに就任するが、大変な船出だったと立石氏は明かす。「いえ。私は少中高とサッカーをして社会人でもプレーしていましたが、サッカー業界に入ろうなんて全く思っていなかったんです」「飯塚は昨季終盤にSTVVに来たんですが、数字を私の目に見える形にしてくれた。これによって、スタッフの要求に対して数字をしっかり示すことができたし、計画性のある数字が出てきたということで、あの手この手の要求に落ち着いて対応することができました」「日本人が戦う舞台をヨーロッパで作りたい」という立石氏の志に、福田氏は強い感銘を受けたと発言。それと同時に「『日本のために』という強い思いを持った人に、よくぞSTVVの前オーナーはクラブを売ってくれたと感じた」とも述べた。「DMM.comからベルギーに派遣された交渉部隊は、だいぶ苦戦したんです」 立石氏は、STVVのオーナーだったローラン・ドゥシャトレ氏との交渉が、当時一旦、暗礁に乗り上げたことをこう明かした。次回は、STVVの立石敬之CEOと飯塚晃央CFOによるパネルディスカッションの質疑応答の模様をお届けする。一度は、経理を離れようと思ったこともありましたが、仕事をしているうちに、経理の奥深さに気づき始めて。そこで『もう1回勉強し直そう』と思って、(楽天)本社に戻りました。それが30歳ぐらいのときでしたね。また30歳を超えてから、『自分自身が本当にやりたいことはなんだろう』と考える機会もありました。ドゥシャトレ氏は72歳の実業家で、シント=トロイデンで影響力を持つ政治家でもあった。サッカー好きの氏はチャールトン(イングランド)、カールツァイス・イェーナ(ドイツ)、アルコンコン(スペイン)の株式も保有しているが、「中でもSTVVが大好き」(立石氏)なのだという。欧州スポーツビジネスサミットにはおよそ20名が参加したが、社会人と学生が占める割合は半々。その学生たちが知りたいのは「いかにしてスポーツビジネス業界に入ることができるか」である。「DMM.comが本当にSTVVの強化をしてくれるのか――。ドゥシャトレさんが一番気にしていたのは、実はそこだったんです。DMM.com側がそれを聞き出すまでには相当、苦労がありました。本当にSTVVを愛しているからこそ、買収先は自分で選ぼうとしていたんです」立石氏は現役選手時代にベルマーレ平塚(現湘南ベルマーレ)や東京ガス(後のFC東京)、大分トリニータで活躍し、引退後はFC東京でGMを務めた経歴を持つ。このためSTVVで現職を務めていることも理解しやすい。むしろ参加者が知りたがったのは、飯塚氏がSTVVに参加するまでのバッググラウンドだった。スポーツビジネスサミット(SBS)が「スポーツを通した地方活性化」をテーマに初開催されたのが2018年9月。その1年後となる今年9月には、サッカー・ベルギーリーグ1部のシント=トロイデンVV(STVV)の協力により、ベルギーの「地方都市」ともいえるシント=トロイデンで、「SBS欧州」が実現した。現地密着したHALF TIMEによる連載2回目は、STVVの立石敬之CEOと飯塚晃央CFOによるパネルディスカッションの模様をレポートする。「最初に就任してすぐ『これは怖いな』と感じました。一気に全部を叶えてあげるだけの予算はありませんから。ただし『やらない』と断るわけではなく、『いつ、するか』という優先順位を決めていかなければならないんです。だから私が長期的なプランを持って、(予算・経理・財政面での)数字を明確に把握しておかなければならない。それを把握することが最初のステップでした」