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映画『グエムル漢江の怪物』あらすじ・ネタバレ. 全記事一覧. 映画『グエムル-漢江の怪物-』ネタバレ感想・解説・考察を書いています!「グエムル-漢江の怪物-」は家族モノと怪物ネタをミックスした異端の韓国映画です。2006年に制作された作品ですが、今見ても楽しめる作品です。 お問い合わせ. 動画配信サービス比較. 殺人の追憶の感想 「ほえる犬は噛まない」、「グエムル -漢江の怪物-」、「母なる証明」、「パラサイト半地下の家族」、「 スノーピアサー 」、「オクジャ」、「Tokyo! 映画『グエムル漢江の怪物』感想・評価 映画『グエムル漢江の怪物』はポンジュノ監督ソンガンホ主演という韓国映画屈指のタッグということもあってかなり有名な映画ではないかと思います。 映画『グエムル -漢江の怪物-』のネタバレあらすじ結末と感想。グエムル 漢江の怪物の紹介:2006年韓国映画。アメリカ軍が実際に漢江へホルムアルデヒドという薬品を捨てたという事実から着想を得て映画館した作品です。作品は反米色の強いものとなりました。 グエムル~漢江の怪物(ネタバレ注意) 2006-10-04 | 映画(洋画) 韓国で大ヒットのみならず、世界的にも配給が予定されて、カンヌなどの映画祭でも結構いい評価をもらっている作品。 怪物に立ち向かうのは、なんと一般市民。しかも、怪物退治を目的とするのではなく、怪物に誘拐された娘を助けるために家族が奮闘するのです。そしてラストには、これまでの映画ではあまり例のない展開が待ち受けています。映画『グエムル-漢江の怪物-』は2006年に韓国で封切りされ、同年に日本でも公開となった作品です。朝鮮半島の北部を流れる漢江に突如出現し、流域の人間を捕食する怪物グエムル。そのグエムルに捕らえられた娘を取り戻そうと、家族の奮闘する姿を描いた作品です。カンドゥたちが下水溝へ向かう頃、グエムルのウイルス性を懸念したアメリカとWHOは、エージェント・イエローと呼ばれる化学兵器を投入する準備を始めていました。流域では健康被害への影響を心配する市民と警察との対立が起こっています。セジュは決してヒョンソの身代わりなどではありません。けれども、彼にとってはヒョンソの最後を知る大切な人です。そう考えると、カンドゥが身寄りのないセジュを引き取ったのは、自然なことではないでしょうか。全身にガソリンを浴びるグエムル。これで火炎瓶を命中させて終わりと思いきや、ヒボンは最後の最後で火炎瓶を取り落としてしまうという、致命的なミスを犯します。まさかここまで期待を裏切るとは、韓国映画恐るべし……。しかし、それもまた、ある意味で予定調和のひとつに過ぎなかったのです。物語の設定からB級の怪物映画っぽい印象を受けたなら、それは間違ってはいません。グエムルの登場地域が漢江という狭い地域に限定されていたり、立ち向かうのが軍ではなく家族だったりする時点で、本作はものすごくB級的な作品であるといえます。セジュとの食事のシーンは、そうしたヒョンソの死をわざとらしく盛り上げることはありません。むしろ、何の説明もなく物語が終わってしまうため、逆に驚きを与えるのです。本作の紹介にあたり、あらすじをもう少し詳しく見ていきましょう。なお、このエージェント・イエローはアメリカがベトナム戦争時に使用した枯れ葉剤「エージェント・オレンジ」にちなんだものです。序盤ではグエムルに連れ去られたヒョンソが死んだものだと思い込み、悲しみに暮れるカンドゥたちの様子が印象的です。一方、ラストではヒョンソの死に対して、感傷的なシーンや演出が挟まれることはありません。ただ、少年セジュとの暮らしや、金髪であることをやめたカンドゥの様子から、その事実が静かに推し量られるのみです。また、2019年に韓国で公開された『パラサイト 半地下の家族』は批評家からも絶賛され、さらには第72回カンヌ国際映画祭で韓国映画では初のパルム・ドールを受賞しました。漢江の河川敷に集う客を相手に、父親の売店を手伝う主人公のパク・カンドゥ。彼は店番をしながら居眠りをするなど、勤労意欲に乏しい中年男性です。しかし、決して怠けた生活をしているわけではなく、弟や妹、父親の手を借りながらも、一人娘のヒョンソを大切に育てています。一体、ヒョンソはどうなったのでしょうか。作中でヒョンソがその後目を覚ますシーンはありませんが、明確に死亡したことがわかるシーンもないのです。ラストではカンドゥとヒョンソが再び生活している様子が見られると思っていた観客は、もやもやした気持ちを抱えたまま映画を見終えることとなります。ある日、カンドゥが漢江の流域にいる客のところへ食事を届けようとすると、何やら周りが騒がしいことに気がつきます。人々の視線の先には、不気味な怪物の姿がありました。ほどなくして、怪物は漢江の河川敷に上陸し人々を襲いはじめます。けれども、パニック状態にあったカンドゥが握ったのは、別の少女の手でした。その間に、売店から出てきたヒョンソはグエムルによって連れ去られてしまいます。漢江にある売店に勤務するカンドゥは、娘のヒョンソと父親のナムジュとの3人暮らし。あまり真面目な性格とはいえませんが、ヒョンソのことを大切に想っています。しかし、本作は開始からおよそ15分の間にグエムルがその姿を見せ、人々を襲う様子が描かれます。登場までに時間をかけず、潔く物語の中核を見せるおかげで、逆に物語へすぐに没入できるようになっているのです。一般人が己の拳や武器だけで怪物に立ち向かうという展開は、どうにもチープさが漂うものですが、なぜかそうはならないのが面白いところ。むしろ拳を握る熱い展開と、かすかな笑いを引き起こします。こうした作りの上手さが、韓国映画の魅力のひとつといえるでしょう。本作で興味深いのは警察でも軍でもなく、一般人であるカンドゥたち家族がグエムルに立ち向かうという点です。娘のヒョンソを救出するためとはいえ、怪獣や怪物に対して家族が立ち向かうという展開は、B級映画のお約束といえるでしょう。しかし、そのお約束はあっけなく裏切られることとなります。物語のラストではグエムルの襲撃から季節は過ぎ、カンドゥは父親のあとを継いで漢江の売店を経営しています。いつかまた、第2、第3のグエムルが出てくることを恐れてか、彼は手元に銃を置くことを忘れません。家族モノの話ではあるものの、本作の中心にはグエムルの存在が大きく横たわっています。いや、さっきホコリがどうとか言っていた口で、心を広く持とうとか何を言っているんだ?しかも劇薬を川に?とツッコむ場面であるのは言うまでもありません。ちなみに、2000年には実際に在韓米軍がホルムアルデヒドを漢江に流すという事件も起こっており、後述する反米的な要素が冒頭から含まれていることがわかります。ヒョンソを救出するべく、決死の捜索を続けるカンドゥたち。その甲斐あって、彼らは一時グエムルを追い詰めます。しかし、騒ぎを聞いて駆けつけた軍から身を隠すべく、カンドゥたちは車へ逃げ戻ることとなるのでした。冒頭でも、100kg近くもありそうな河川敷の標識を持ち上げてはグエムルに立ち向かっていたカンドゥ。漫画チックな展開ですが、なぜか見ていて違和感を覚えることはありません。むしろ、韓国映画とはそういうものなのだと納得してしまえる勢いがあります。ちなみに、グエムルのデザインが決定するまでの期間は2年以上。実際にCGを駆使したその動きには6億円以上もの費用がかかっています。そのCGの出来は2019年の時点でも陳腐に感じられることはなく、デザインの妙もあって見れば大きなインパクトを受けることでしょう。車の近くには、カンドゥたちを探すグエムルの姿が。父親のナムジュはカンドゥから最後の弾丸が入った銃を受け取り、囮となってグエムルのもとへ向かいます。しかし、カンドゥの勘違いで銃に弾丸は入っておらず、そのままナムジュはグエムルにたたきつけられ、命を落とします。しかし、巨体から繰り出されるパワーとスピードの前に、下士官もカンドゥも相手になりません。逃げ惑う客とともに、カンドゥはヒョンソを連れて逃げようとします。そこへ政府の人間らしき人物がやってきて、その場にいた人々を全員病院へ隔離しようとします。実は、グエムルは感染性のウイルスを保有しているというのです。特に、カンドゥはグエムルの返り血を浴びており、感染の疑いが強いため、念入りに調べられることとなりました。本作の監督はポン・ジュノ。2000年に『ほえる犬は噛まない』で監督デビューしたあと、2003年の『殺人の追憶』が韓国内で大ヒットしました。その後、本作で当時の韓国の観客動員記録を更新し、国内で注目される映画監督となります。カンドゥの弟のヒボンは大卒で口数が多いのが特徴で、韓国における就職難の影響のせいか、フリーターとして生活しています。ふたりの妹のナミルは国内でも非常に有名なアーチェリーの選手ですが、ここぞという場面で力を発揮できず、作中でも金メダルの受賞を逃しています。グエムルは川に流されたホルムアルデヒドを摂取した生物の突然変異によって誕生しました。作品の冒頭では、駐韓米軍の霊安室で、米軍医師と韓国軍の医師が医療用器材を洗浄している様子が映し出されます。米軍医師はきれい好きな性格なのか、韓国軍の医師に対して、ホルムアルデヒドの瓶についたホコリが許せないと言います。しかし次の瞬間、韓国軍の医師に対し、何の理由もなくホルムアルデヒドを下水に流してしまえと指示することに。ホルムアルデヒドは劇薬なだが、漢江は広いので気にする必要はない、心を広く持とうと言うのです。しかし、本作は単なるB級映画ではありません。映画やその他多くの物語に慣れ親しんだ人の予想を裏切る展開、グエムルの生々しい造形、ブラックユーモアに近い笑いの要素などは、どれも単純なB級映画には見られないもの。本作を見れば、その独特の雰囲気がいずれも印象に残ることでしょう。河川敷でカンドゥを探しているヒョンソの背後から近づく怪物。尻尾で彼女を捕らえると、怪物はそのままヒョンソを漢江へ引きずり込んでしまうのでした。グエムルは人間を捕らえては自分の住処に運び、その後にゆっくり捕食するという特徴を持っています。そのため、人がその場で食べられるような描写はあまり出てきません。偶然にも生きたまま捕らえられたヒョンソは、同じく捕らえられた少年セジュとともに、グエムルの住処を抜け出そうとします。暴動が起きている流域の近くで、グエムルと対峙するカンドゥたち。そこに、エージェント・イエローが頒布されます。ウイルスを持っていない生物にも有効なのか、それとも警察の発砲が効いたのか悶えるグエムル。グエムルが弱ったところで、カンドゥは力任せに口の中からヒョンソと、彼女と同じくグエムルに連れ去られた少年セジュを引っ張りあげるのでした。周りには吐血する人や耳から血を流す人の姿があり、決してエージェント・イエローが人体に無害なものではないことがわかります。それに対して、ガスマスクをつけたまま様子を観察する米軍というシーンにも、駐在米軍に対する皮肉が表れています。そんな展開は有りなのかと思ったのもつかの間、最後にカンドゥが標識をグエムルの喉元へ突き刺し、ついにグエムルは絶命します。軍も警察も何をやっていたのだろうという当然のツッコミをしたくなるものの、娘のために家族が一丸となって怪物を倒す様子は、本当に妙な爽快感しかありません。その後、カンドゥがセジュから、ヒョンソのことを聞いたのは間違いないでしょう。そしてカンドゥは、再び大きな悲しみに包まれたはずです。異色の怪物映画である『グエムル-漢江の怪物-』。後味はともかくとして、お決まりの物語展開に少し飽きている人にはうってつけの映画です。悲しむ間もなく病院へ隔離されるカンドゥたち。彼の携帯に一本の電話が入ります。それは、なんと娘のヒョンソからでした。グエムルに連れ去られたものの、ヒョンソは漢江の下水道のどこかでまだ生きていたのです。正体不明、しかし怪物であることは疑いようがない何かが迫ってくるというインパクトは、まさに強烈のひと言。そのため、本作を怪物映画のパニックムービーだと思い込んでしまうのも無理はないでしょう。かくして、軍が漢江に流したホルムアルデヒドが原因で、グエムルが誕生します。これが日本の怪獣映画なら、グエムルが登場するまでの描写に時間をかけ、場合によっては人間の愚かさをつらつらと映し続けることでしょう。なお、グエムルのデザインや誕生の理由から、2002年に公開された日本のアニメ映画『WXIII 機動警察パトレイバー』に登場する、廃棄物13号を連想する人もいるようです。『グエムル』公開当時もその類似性が国内外で話題となりましたが、配給関係者はこの疑いを否定しています。どちらかといえば、ヒョンソの救出に向かう家族モノといった印象のほうが強いといえるでしょう。監督ポン・ジュノも語っているように、そしてあらすじからもわかるように、本作は誘拐された娘を救出しようと奮闘する家族の物語なのです。売店のなかにある生活空間には当時救出した少年セジュの姿があり、どうやら彼はカンドゥに引き取られたことがわかります。そして、ふたりの生活の様子を映したまま、物語は終わりを迎えます。そんなグエムルの造形は、なんとも形容しがたいものがあります。全長数メートル、四本脚にプレデターのような口、白濁した目の周りには臓器が透けて見えるようでもあり、なんともグロテスクな姿です。そして、もっとも特徴的なのはその尻尾。橋桁を尻尾で掴み、忍者のように飛び移っていくシーンは生物臭さが満載であり、非常に生々しく映ります。こうしたオチは、日本やハリウッドの作品では絶対に持ってこないでしょう。たとえ予定調和といわれても、娘と離ればなれになった父親は最後は再会するのがセオリーです。もし、再会しない展開になったとしても、その場合に死亡するのは父親ではないでしょうか。目を覚まさないヒョンソの姿に呆然とするカンドゥ。やがて、グエムルが起き上がる様子を見た彼は、バイオハザードの標識を槍代わりに使い、グエムルに向かっていきます。その様子には、父親としてのカンドゥの怒りが表出しています。特に、映画のキービジュアルは印象的です。漢江の河川敷に立ち尽くすヒョンソの背後から迫り来る「何か」。もちろん、それがグエムルであることは間違いありませんが、その姿は口らしき部分を中心に、ややボケがかかった状態で映っており、怪物の全体像が明らかになることはないのです。そんなカンドゥの動きをフォローするかのように、火炎瓶をグエムルに投げつける弟のヒボン。手慣れた様子で火炎瓶を作っているシーンから、どうやら彼は学生時代に暴動へ加わっていた経験があることを思わせます。そのため、エージェント・イエローは単に米軍が体裁を取り繕うために使用されます。もちろん、これは監督ポン・ジュノによる反米的な要素のひとつです。しかも、警察に追われるヒボンを助けた浮浪者がガソリンを使って彼をフォローします。まさに、一般人の活躍ここに極まれりといった様子が次々と描かれて行くのです。一応、当時のパンフレットによれば、ヒョンソは死んだこととなっているようです。作中でも彼女が生存していることを思わせるような描写はなく、ただカンドゥとセジュの食事のシーンだけが流れて終わることから、やはりヒョンソは死亡したと考えるのが自然なのでしょう。本来なら、ナムジュがグエムルに一矢報いるのが物語のお約束的な展開といえるでしょう。しかも、命を張ったナムジュの行動もむなしく、カンドゥは軍によって病院へ連れ戻されてしまいますし、ヒボンとナミルはバラバラになって逃げるという、家族の奮闘がただの無駄に終わってしまったかのような展開をみせるのです。このような展開は、いわゆる物語のお約束からは外れています。なんと、ヒボンのそばにはアーチェリー全国大会第3位の妹、ナミルが待ち受けています。彼女は矢の先端に火炎瓶の炎をくっつけると、作中一番の集中力と思い切りの良さでそれを放ち、グエムルの目に見事命中させるのでした。そして、ヒョンソが目を覚ましてハッピーエンドになるかと思いきや――。彼女が目を覚ますことはありません。かくして映画は、ヒョンソがどうなったのかを明らかにしないまま、幕を閉じることとなります。父親のナムジュに呼ばれて客へ食べ物を届けに行ったカンドゥは、漢江から突如グエムルが出現し、流域の人々を次々に襲っていくのを目にします。居合わせた駐韓米軍の下士官とともに、グエムルに攻撃を加えようとするカンドゥ。この時点で、化物をただ怖がるのではなく倒してしまえという妙なアグレッシブさが作中から感じられます。人によっては大いに笑ってしまうことでしょう。一方、冒頭でグエムルに襲われた下士官の体からウイルスが検出されたと報告したのは米軍でした。しかしその後、ウイルスは発見されなかったことが明らかになります。つまり、グエムルの感染性の疑いとは、米軍の誤報告に過ぎなかったのです。ただならぬ状況のなか、カンドゥはヒョンソを連れて逃げようとします。しかし、焦ってカンドゥが捕まえたのは別の少女の腕でした。娘が亡くなるという誰も望まない展開を正面からやってのけるところに、韓国映画の面白さだけではなく、怖さがあるといえます。そこまで想像してふたりの食事のシーンを見ると、そこには暖かい家庭の様子とともに、物寂しい雰囲気が漂っているように感じられるのです。娘の無事を知ったカンドゥたちは、警察や病院に事情を説明します。しかし、ショックで頭がおかしくなったのだろうと相手にされません。こうなったら自分たちの手で助けに行くしかないと決めたカンドゥたちは、警察や病院の追跡を振り切り、一家総出でヒョンソの救出に向かう……という流れになっています。同作では、韓国内を走る超特急KTX内で発生した大量のゾンビに対して、助けを待つ家族のもとへ向かうために、一般人の男たちが奮闘するシーンがあります。それぞれ手持ちのバットやら何やらで武装してゾンビの群れにつっこんで行き、バッタバッタとなぎ倒していくという様子は、妙な爽快感があります。物語の後半では、ヒボンの尽力によって、ヒョンソの携帯電話の発信地点を割り出すことに成功します。発進地点の下水溝へ向かうナミル。そして、医療施設から抜け出して合流するカンドゥ。しかし、当然ながらヒョンソの死に対して、カンドゥが何も思わなかったはずはないでしょう。グエムルを倒したあと、「お前、ヒョンソを知ってるのか」とセジュに駆け寄るシーンは、娘のことを案じていた彼の心情を強く印象づけます。彼からすれば、グエムルに連れ去られたあとのヒョンソのことを知っている人は非常に重要なはずです。そんな物語のお決まりの展開を期待して見ると、映画『グエムル-漢江の怪物-』は良い意味で裏切られることでしょう。この映画には屈強な軍隊はほとんど登場しません。物語にはたいてい、文法と呼べるようなお決まりの展開があるものです。凶悪な怪物や怪獣が登場する映画なら、軍やそれに代わる存在が活躍し、主人公やその家族が無事に生存するという終わり方が一般的かもしれません。今回はそんな映画『グエムル-漢江の怪物-』の感想や解説、考察について紹介します。ネタバレを多く含んでいるため、鑑賞前に読まれる場合はご注意ください。死体は見つからないものの、既に生きてはいまいと悲しみに暮れるカンドゥ。弟のヒボンは手を取る相手を間違えたカンドゥをけなします。試合から帰ってきた妹のナミルは事実を知り、号泣せずにはいられませんでした。このあと、グエムルが漢江から街に出てきてさらに人を襲うのかと思いきや、そうはなりません。グエムルの活動地域はあくまで漢江にとどまっており、犠牲者も流域にいる人々だけです。明らかに被害規模が小さいため、単純にパニックムービーや怪獣映画と評するのは難しいかもしれません。